あまり知られていないナンセンの姿を紹介しましょう。
▲日本ではノルウェー出身の「探検家」としてしかあまり知られていない。
フリチョフ・ナンセン/Fridtjof Nansen (1861-1930)
冒険家から政治家へ
ナンセンは1861年にクリスチャニア(現在のノルウェー・オスロ)郊外で生まれ、クリスチャニア大学(現オスロ大学)に進学し動物学を専攻した後、科学者、画家として才能を発揮しました。学術を兼ねた遠征でグリーンランドのスキー横断に成功したり、氷塊が浮遊する北極海上を「フラム号」で航海したりすることで探検家や学者として名を上げ、その数々の冒険における強力なリーダーシップと強固な意志により、ノルウェー国内でヒーローとして扱われました。
しかし、ノルウェーがナンセンに求めたのは意外な役割でした。まず、当時のノルウェーの大きな問題となっていたのが隣国のスウェーデンとの関係でした。ノルウェーは1905年にデンマーク王子を迎え、スウェーデンとの同君連合を解消し、独立を達成したのです。当時の帝国主義下という状況の中で、「独立」は必ずしも歓迎されていたわけではありません。一刻の予断も許さない緊張関係の中、ナンセンは外交の交渉役として起用され、この交渉をうまくまとめあげたのでした。ナンセンはこの外交の成果により、在ロンドンの初代ノルウェー大使(1906-1908)もつとめました。
政治家から人道支援家へ
その後もナンセンはノルウェーで科学と海洋学の研究を進めますが、一方では、第一次世界大戦が開戦してしまいます。1918年にこの戦争は終結しますが、この間、ナンセンは自国が戦争に巻き込まれそうになることを必死に防ぎました。このとき、ノルウェーの様な小国を守るには国際的な組織が必要と考え、1819年に創設された国際連盟に強く関わるようになっていきます。さて、第一次世界大戦に起因する混乱は戦後に多くの戦争捕虜を生み出しました。特にドイツとロシア両国で45万人という捕虜がいました。ナンセンは国際連盟から捕虜送還問題担当高等弁務官という役職を打診され、受諾します。しかし、ロシアもドイツも自国内で他に様々な問題を抱えており、捕虜の帰還問題はナンセン一人の肩にかかりました。特に当時のロシアの権力者ボルシェビキは西側諸国に対し不信感を募らせていたため、ナンセン以外との交渉を拒絶しました。ナンセンは持ち前の熱意とフットワーク、そして築き上げた信頼とネットワークで1922年の夏までにすべての捕虜の帰還を成功させます。
また、一方、ロシアでは左記の大戦やロシア革命、それに続く内戦により、約150万人とも言われる難民(いわゆる白系ロシア人)が生み出されました。ナンセンはこのとき、国際連盟の難民高等弁務官に任命され、難民救済にかかわるすべての機関の調整役を任されました。ナンセンは難民が自由に国境を越えられる証明書を考案し、52ヶ国の政府を説得してこれを正式なパスポートとして認めさせるとともに、欧米諸国に一定数の難民の受け入れを認めさせました。ナンセンの肖像が貼られたこのパスポートは「ナンセン・パスポート」と呼ばれ、数十万の難民がこれを提示して国境を越え、それぞれの定住先に落ち着くことができました。今なお世界各地でナンセンにより命が救われた人々が生活を続けているのです。ロシアを脱出できた人の中には、ストラビンスキー、シャガール、アンナ・ハヴロヴァ、ラフマニノフといった著名人の姿もあります。
ロシア、ウクライナ地方ではさらに、食料飢餓問題も起こっていました。これに対しては、欧米諸国は「ロシア」ということもあり援助に非協力的でしたが、ナンセンは世界中で講演をしたり、私財をなげ売ったりし、徐々に援助の輪を広げていくことに成功しました。
1922年、ナンセンは戦争難民の送還やロシアの飢饉難民救済に尽くしたとして「ノーベル平和賞」を受賞しました。ノルウェー人として2人目の受賞でした。ナンセンはこの賞金さえも難民の救済のために使いました。
ナンセンはその後も1930年にその生涯を閉じるまで、ギリシア・トルコ間の対立による難民問題やベルギー領コンゴにおける強制労働の廃止、その他、軍縮運動に精力的に取り組みました。その行動は一貫して強い信念に溢れていました。
1930年5月13日、ナンセンはオスロ郊外の自宅で亡くなりました。享年69歳でした。ノルウェー政府は、ノルウェーの独立記念日の5月17日、独立後初の国葬をもって、ナンセンを葬りました。ノルウェー独立に尽力し、1000万人以上の命を救った人物に相応しい栄誉礼でした。
世界的な探検家、海洋科学者として偉業を成し遂げながら、後半生は政治の世界に身を投じ、そこでも不屈の闘志で幾多の人々を救済したフリチョフ・ナンセン。政治的な思惑を離れ、弱い立場の人々のことを第一に考え、自分がやりたかった学術の追求を二の次にし、さらに私財までも投げうって奮闘したナンセンの行動は今もなお多くの人々に感動を与えつづけています。
毎年ナンセンの誕生日である10月10日に合わせて東京を含む世界各地でフリチョフ・ナンセン記念講演が開催されています。また毎年優れた研究成果をあげた科学者にフリチョフ・ナンセン賞が授与されています。さらに、現在の国連でも難民の救済に尽力した人や団体に、国連ナンセン委員会から「ナンセン・メダル」が贈られています。
最後に人類の英雄、ナンセンの言葉を紹介しましょう。
「人間への愛、それこそは最も具体的かつ実践的な政治である」〜フリチョフ・ナンセン